今回は前回の続きで
ザ・キング・オブ・ロックンロール
エルヴィス・プレスリー
2度目の登場です。
1953年7月、 18歳だったエルヴィスはメンフィスのサン・スタジオを尋ね、
「母親へのプレゼント」として4ドル余りを支払って
アセテート盤(自主制作レコード盤)に自らのギター伴奏で
「マイ・ハピネス」と「心のうずく時」を録音しました。
この日、社長のサム・フィリップスは不在でしたが、
秘書のマリオン・キースカーが応対し、
念のため、エルヴィスの住所と電話番号をメモしておいたのです。
※ちなみにそのアセテート盤が後日発見され、なんと37年後の1990年に・・・
「マイ・ハピネス」がCDで発売になりました。
もちろん私も聴きましたが、その声はあまりにも若く、甘く、
しばらく震えが止まらなかったことを憶えています。
1954年6月26日 エルヴィス19歳。
サン・スタジオ社長のサム・フィリップスが新人歌手を探していた時、
マリオン・キースカーは
控えておいたエルヴィスの電話番号を思い出し、
それをサムに渡しました。
そうです、このマリオン・キースカーが
もしエルヴィスの住所と電話番号をメモしていなかったとしたら・・・。
今日のようなポピュラー音楽は存在していませんでした。
なんという偶然・なんという奇跡!
早速サムはエルヴィスを呼び寄せ、エルヴィスはオーディションを受けましたが、
サムが期待したようには歌えませんでした。
しかし何かいいものを持っていると思ったサムは、
ギタリストのスコッティ・ムーアにエルヴィスの名前と電話番号を教えました。

1954年の、スコッティ、エルヴィス、ビル。
1954年7月5日の午後8時、エルヴィス、スコッティ、ベーシストのビル・ブラックの3人が
サン・スタジオで初めてのレコーディング・セッションを行いました。
レコーディングの途中、緊張を和らげる目的でエルヴィスが
「ザッツ・オール・ライト」という黒人歌手の曲を半分ふざけながらアップテンポで歌い始め、
他の2人もそれに合わせて演奏していました。
すると、コントロール・ブースでそれを聴いていたサムが
「これだ!これが探していた新しいサウンドだ」
と叫びました。
それは今まで聴いたこと無いような躍動感に満ち溢れ、
頭をかち割られたような衝撃だったにちがいありません。
そうです、この時この瞬間に
「ロックンロールが生まれた」
といっても過言ではありません。
翌日、引き続いて「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」というカントリーソングを
全く新しい、これもアップテンポなアレンジで録音。
この2曲がエルヴィスのデビュー曲となることが決定しました。
その後の快進撃は次回・・・。 お楽しみに。